そばの種類と老舗系統

そばとは言えど一体どういった種類や蕎麦屋の系統があってどういったルーツがあるのか、聞かれたら答えられますか?日本そばの種類をまとめてみました。

そばの種類と老舗系統

 

そば粉の種類を知る

そばはシンプルな食べ物ながら、実は奥が深いためうどんよりもマニア(通)が多いのも分かるようになります。

そば粉といっても実は大きく以下のようにわけられます。

  • 一番粉(そばの実の中心部分)
  • 二番粉
  • 三番粉(外の皮に近い部分)

白い色のそばは更科?

一番粉は俗にいう【更科そば】で、手打ちそばで白い蕎麦を見ると、透明度が美しいそばだと感じます。しかし何でも更科そばという人もいますが、お店のそば粉の種類、配合加減により更科に見えつつもそうではなかったりということもあるので、一概にカッコつけて見せに来た仲間同士で「これは更科だ。」と言い合うのも注意が必要だったりします。

田舎そば

また2番粉以降で作られたツブツブが見えるそば、田舎そばとも呼ばれますが、見た目はゴツイ感じもしますが、栄養価は皮に近いそば、黒っぽい蕎麦の方が多いと言われています。

老舗蕎麦屋の系統の種類

蕎麦通になるために、必ずと言っても過言ではない以下のこと、聞いたことはありますか?

  • 藪系
  • 更科系
  • 砂場系
  • 一茶系

こういった老舗蕎麦屋の名を聞くと美味しい蕎麦屋の代名詞的なお蕎麦屋さんだということが昔から伝えられてきたのですが、例えて言うならば茶道の世界にも流派があるように蕎麦屋にもそういった違いがあるということも1つ知っておくとよいでしょう。蕎麦屋でそばを待つ間に話のネタになるに違いありません。

藪系の始まり

蕎麦の歴史の研究者として有名な新島繁氏の著書でも【蕎麦の事典】によると「藪蕎麦」の名前は、江戸時代の中期に登場してくるとのことです。

更科系の始まり

寛政元年(1789年)に、信濃布の行商をしていた清右衛門が、麻布永坂高稲荷下に「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」の看板を掲げたことが始まりとされています。

砂場系の始まり

砂場系のそばの発祥は豊臣秀吉の大阪城築城の時というのが通説ですが、砂場の東京進出は寛延四年(1751年)頃と推測されています。その後関東で砂場系が広まったとされますが、一方の発祥の地である大阪は明治10年代に廃業となってしまったとされています。

一茶系の始まり

一茶系は他の老舗蕎麦屋に比べると歴史は浅いながら、片倉康雄(友蕎子)氏が江戸蕎麦の伝統を復活させたという点でニューウェーブの先駆者的存在の蕎麦屋。1926年2月、東京都新宿駅東口に「一茶庵」を開業したのだそう。一茶庵の興味深いところは、一切蕎麦屋で修行歴はなく独学で蕎麦を広めたというところ。

蕎麦の技術力を磨く

それぞれの蕎麦屋の系統をこうして改めて知ると、自分は一体どの系統が好きなのか考えてみたくなりますね。また蕎麦の食べ歩きや自分で自宅で家族や友人に手打ちそばを振る舞いたくなるのです。

そこであなただけの我流で旨い蕎麦を打ち、蕎麦への道を極めるよい機会かもしれません。
男の料理、そば打ちから。

情報参照元:蕎麦手帳(太野 祺郎著:東京書籍)